6.吉野川北岸用水が完成して大きく変わった農業

~阿波の北方、月夜に雲雀が足を焼く~

 このような諺があるように、吉野川北岸用水が完成するまでは吉野川という余りある水源を目の前にしながらも、徳島平野や讃岐山脈の山麓地域は昔から晴れの日が多く降水量が少ない瀬戸内式気候である事や、地形上自然取水が出来なかったため、短期間の渇水でも問題とされていました。過去の農家の人々は、小川や池の水を分配して耕作をしていました。

吉野川北岸用水ができてからは

 田植えが4月から始まり、8月にはお米が収穫できるようになりました。また、北岸用水は一年を通して水が流れているので、秋から冬にかけても畑やハウスでイチゴやナスなどの作物をつくる農家が増えてきました。水は水道と同じように給水栓(バルブ)を捻るだけで、雨が少ない時でも安定していつでも利用できるようになりました。

▲ハウスイチゴの水耕養液栽培

▲栽培された蘭

 さまざまな野菜や果実が一年中つくれるようになり、以前に比べて農作物の収穫量も安定してきました。また、高い栽培技術を必要とする蘭などの花を栽培する農家も増えてきました。